ある社畜の独り言

主に女性のキャリアやライフで悩みや愚痴をこぼすブログ

出産を決断するに至った経緯

決めました

前回の記事を読んでいる人はいないと思いますが、前回は妊娠が発覚して、それに対する戸惑いを言葉にしておりました。

今回は、前回迷っていた「産むかどうか」について決断しましたので、それに対して記載をしていきます。

結論:産みます

はい、もうタイトルもそうなんですが、産むことにしました。

決断のきっかけはドラマでよくある「母としての意識の芽生え」とかそういったものではありませんでした。

私が出産を後ろ向きに迷っていたのは、主に仕事のためでした。「今勤め先の会社が組織改革のタイミングで、好きなようにできる&色々な経験ができるタイミング」という絶好の機会だったこともあり、そこでキャリアを断絶させる決断に悩んでおりました。

  1. そもそも年齢的にそれほど余裕がある訳ではない(後ろにずらすほどリスク高
  2. 出産予定日は2月なので、今年中は仕事が続けられる
  3. もともと会社を辞めようと思っていた。その会社に残るならまだしも、いずれ去ると決めている会社なので人生の転機を変更してまで得られる経験が華々しいものになるのかどうか

上記を総合的に考えた結果、「産む」という結論に達しました。

1は前提条件、大きく決め手になったのは2と3でした。2で基礎固めまでは会社にいられると思ったことと、3を考えた結果、組織に関わることはもっと先のキャリアでも実現できると判断しました。(ずっと勤めたいと思える会社で笑)

幸いつわりもそれほどないので、仕事には大きな影響はなさそうですので、できることはしつつ、私の仕事も分解して誰でもできるようにする基盤を作っていきたいと思います。

命の選別って?

そうと決まったら妊娠・出産について調べまくりました。その中で、「出生前診断」ということを知りました。生まれる前に染色体の異常がないかを確認できるとのこと。

これは、やらねばと思いました。

 

こんなこと書くと非難されると思いますが、異常があった場合、産みません。断定はしませんが。今のところそう思ってます。

その行為が「命の選別である」という倫理観、わかります。障害のあるお子さんを頑張ってサポートしているご家庭、尊敬します。

だからこそ、私にはできないなと思いました。私は、残りの人生すべてを使って子どもを支える役割はできないなと。だって、母親だって人間で、母親には母親の人生があるはずです。

日本って、過度に「母に人生を賭して子どもを育てる」像を押し付けてきません?そうなりたい方を否定する気は全然ないのですが、私はそうなれないし、なるつもりもありません。(産まれたあとに発覚するものは、仕方ないとあきらめてます。)

それを命の選別だと非難するなら、母親に人生を選別する権利はないのかと、私は問いたい。母親の人生だって命と比較するものじゃないくらい尊いもののはず。

なぜその決断が非難の対象になるのか。喜んで堕胎という決断をしている家庭なんてきっとないのにね。